ぎ》りは浮世の風中《かざなか》にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸《か》け合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いに係《かかわ》らず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分|仕《つかまつ》るところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜《せいそう》を同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬《ごびゅう》である。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤《いきどお》る吾輩などに較《くら》べると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫《ごう》も驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間《のろま》に極《きま》っている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々《ようよう》運動の功能を吹聴《ふいちょう》したり、海水浴の利益を喋々《ちょう
前へ
次へ
全750ページ中372ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング