へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴|眼尻《めじり》から頬へ流れ出した。山葵《わさび》が利《き》いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際《てぎわ》を激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度|敲《たた》いたが「奥さん笊《ざる》は大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数《てすう》を掛けちゃ旨《うま》く食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。
ところへ寒月君が、どう云う了見《りょうけん》かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被《かぶ》って両足を埃《ほこり》だらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来《ごにゅうらい》だが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座《しゅうじんかんざ》の裏《うち》にあって臆面《おくめん》もなく残った蒸籠を平《たいら》げる。今度は先刻《さっき》のように目覚《めざま》しい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れ
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