である。社会的動物である以上はいかに高く自《みずか》ら標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至《ないし》御《お》さん、三平|連《づれ》が吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥《は》いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上《のぼ》すような無分別をやられては由々《ゆゆ》しき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆《しゃば》に出現したほどの古今来《ここんらい》の猫であれば、非常に大事な身体である。千金の子《し》は堂陲《どうすい》に坐せずとの諺《ことわざ》もある事なれば、好んで超邁《ちょうまい》を宗《そう》として、徒《いたず》らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災《わざわい》なるのみならず、また大いに天意に背《そむ》く訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚《ふんとん》の隣りに居を占め、鴻雁《こうがん》も鳥屋に生擒《いけど》らるれば雛鶏《すうけい》と俎《まないた》を同《おな》じゅうす。庸人《ようじん》と相互《あいご》する以上は下《くだ》って庸猫《ようびょう》と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば
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