れらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼《か》の多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎※[#「木+厥」、第3水準1−86−15]《かんしけつ》同等に心得るのももチともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋《ねこなべ》に故障を挟《さしはさ》む景色《けしき》のない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑《けいべつ》するのも、あながち無理ではない。大声は俚耳《りじ》に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩《たとえ》も古い昔からある事だ。形体以外の活動を見る能《あた》わざる者に向って己霊《これい》の光輝を見よと強《し》ゆるは、坊主に髪を結《い》えと逼《せま》るがごとく、鮪《まぐろ》に演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟《ひっきょう》無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物
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