を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。本《もと》を忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見《べっけん》した時、以上の感想が自然と胸中に湧《わ》き出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。
吾輩の眼前に悠然《ゆうぜん》とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常《ふだん》神の製作についてその出来栄《できばえ》をあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目《びもく》がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜《うり》二つであると云う事実である。吾輩は無論泥棒に多くの知己《ちき》は持たぬが、その行為の乱暴なところから平常《ふだん》想像して私《ひそ》かに胸中に描《えが》いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨く
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