この時鈴木君の胸のうちにちょっとの間顔色にも出ぬほどの風波が起った。この布団は疑いもなく鈴木君のために敷かれたものである。自分のために敷かれた布団の上に自分が乗らぬ先から、断りもなく妙な動物が平然と蹲踞《そんきょ》している。これが鈴木君の心の平均を破る第一の条件である。もしこの布団が勧められたまま、主《ぬし》なくして春風の吹くに任せてあったなら、鈴木君はわざと謙遜《けんそん》の意を表《ひょう》して、主人がさあどうぞと云うまでは堅い畳の上で我慢していたかも知れない。しかし早晩自分の所有すべき布団の上に挨拶もなく乗ったものは誰であろう。人間なら譲る事もあろうが猫とは怪《け》しからん。乗り手が猫であると云うのが一段と不愉快を感ぜしめる。これが鈴木君の心の平均を破る第二の条件である。最後にその猫の態度がもっとも癪《しゃく》に障る。少しは気の毒そうにでもしている事か、乗る権利もない布団の上に、傲然《ごうぜん》と構えて、丸い無愛嬌《ぶあいきょう》な眼をぱちつかせて、御前は誰だいと云わぬばかりに鈴木君の顔を見つめている。これが平均を破壊する第三の条件である。これほど不平があるなら、吾輩の頸根《くびね
前へ 次へ
全750ページ中230ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング