土中にある金剛石《ダイヤモンド》の日を受けて光らぬと同じ事で、せっかくの智識も無用の長物となる。これは愚《ぐ》だ、やめようかしらんと上り口で佇《たたず》んで見た。
しかし一度思い立った事を中途でやめるのは、白雨《ゆうだち》が来るかと待っている時黒雲|共《とも》隣国へ通り過ぎたように、何となく残り惜しい。それも非がこっちにあれば格別だが、いわゆる正義のため、人道のためなら、たとい無駄死《むだじに》をやるまでも進むのが、義務を知る男児の本懐であろう。無駄骨を折り、無駄足を汚《よご》すくらいは猫として適当のところである。猫と生れた因果《いんが》で寒月、迷亭、苦沙弥諸先生と三寸の舌頭《ぜっとう》に相互の思想を交換する技倆《ぎりょう》はないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者である。他人の出来ぬ事を成就《じょうじゅ》するのはそれ自身において愉快である。吾《われ》一箇でも、金田の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られているなと云う自覚を彼等に与うるだけが愉快である。こんなに愉快が続々出て来ては行かずにはいられない。やはり行く事に致そう。
向う横町へ来て見ると、聞
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