よくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故《わざ》と四角四面の棺《かん》の中へ入れてことさらに融通が利《き》かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到《いた》る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支《さしつかえ》ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円《まる》いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏《まと》めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具《そな》えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏《まと》っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩《くず》れ出さないとも云えない。要する
前へ
次へ
全41ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング