ればならなくなってしまった。食膳《しょくぜん》に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走《ごちそう》が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐《いだ》かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草《たばこ》を喫《す》っても碌《ろく》に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨《うま》そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸《ひさん》な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれ
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