少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様《ごんげんさま》だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓《いただき》へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子《こうし》の檻《おり》の中に入って山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇《ものずき》である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向《くらしむき》とは関係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢《ぜいたく》なものの数が殖《ふ》えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗《じょうご》みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が
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