楽だって女を相手にするばかりが道楽じゃない。好きな真似《まね》をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亘《わた》っての話であります。自分が画がかきたいと思えばできるだけ画ばかりかこうとする。本が読みたければ差支ない以上本ばかり読もうとする。あるいは学問が好《すき》だと云って、親の心も知らないで、書斎へ入って青くなっている子息《むすこ》がある。傍《はた》から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の学資を工面《くめん》して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計《くらし》の方なんかまるで無頓着《むとんじゃく》で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠《もた》れて苦《にが》り切っているのもある。親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点《がてん》している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶《とぜつ》する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争|劇甚《げきじん》の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精《れいせい》な人でも
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