一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫《くふう》なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反《そり》の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。これでもまだ抽象的でよくお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自《おのずか》ら明暸《めいりょう》になるだろうと信じます。元来人間の命とか生《せい》とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前《ぜん》申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟《しげき》に対してどう反応するかという点を細かに観察すればそれで吾人人類の生活状態もほぼ了解ができるような訳で、その生活状態の多人数の集合して過去から今日に及んだものがいわゆる開化にほかならないのは今さら申上げるまでもありますまい。さて吾々《われわれ》の活力が外界の刺戟《しげき》に反応する方法は刺戟の複雑である以上|固《もと》より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたび
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