かったならば、万事に勝手が悪い訳だから、まあ互に研究もし、また分るだけは分らせておく方が都合が好かろうと思うのであります。それについては少し学究めきますが、日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要があると考えます。御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返《くりかえ》しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎《せん》じつめて聞き糺《ただ》されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然《ばくぜん》と曖昧《あいまい》であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。
もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工《のりざいく》のように硬張《こわば》ってしまう。複雑な特性を簡単に纏《まと》める学者の手際《てぎわ》と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶《うかつ》を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故《わざ》と四角四面の棺《かん》の中へ入れてことさらに融通が利《き》かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到《いた》る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支《さしつかえ》ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円《まる》いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏《まと》めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具《そな》えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏《まと》っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩《くず》れ出さないとも云えない。要する
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