現代日本の開化
――明治四十四年八月和歌山において述――
夏目漱石
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)迂余曲折《うよきょくせつ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)琥珀の中に時々|蠅《はえ》が入ったのがある。
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はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承《うけたまわ》れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過《はやりすぎ》の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の紹介で漱石君の演説は迂余曲折《うよきょくせつ》の妙があるとか何とかいう広告めいた賛辞をちょうだいした後に出て同君の吹聴通《ふいちょうどお》りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥《おちい》ってしまう訳であります。実はここへ出て参る前ちょっと先番の牧君に相談をかけた事があるのです。これは内々ですが思い切って打明けて御話ししてしまいます。と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫《きじょうぶ》な返事をしてくれたので、たちまち親船《おやぶね》に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事ではなはだありがたいには違ないけれども、その代り厭《いや》にやり悪《にく》くなってしまった事もまた争われない事実です。元来がそう云う情ない依頼をあえてするくらいですから曲折どころではない、真直《まっすぐ》に行き当ってピタリと終《しま》いになるべき演説であります。なかなかもって抑揚頓挫《よくようとんざ》波瀾曲折《はらんきょくせつ》の妙を極めるだけの材料などは薬にしたくも持合せて
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