早く自由になりたい、人から強《し》いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾《あっさく》して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中《うち》につけまとっている。その根性が取《とり》も直《なお》さず活力節約の工夫《くふう》となって開化なるものの一大原動力を構成するのであります。
かく消極的に活力を節約しようとする奮闘に対して一方ではまた積極的に活力を任意随所に消耗しようという精神がまた開化の一半を組み立てている。その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約《つづ》めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟《しげき》に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚《つり》をするとか玉を突くとか、碁《ご》を打つとか、または鉄砲を担《かつ》いで猟に行くとか、いろいろのものがありましょう。これらは説明するがものはないことごとく自から進んで強《し》いられざるに自分の活力を消耗して嬉《うれ》しがる方であります。なお進んではこの精神が文学にもなり科学にもなりまたは哲学にもなるので、ちょっと見るとはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。
この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑|極《きわま》りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積《つも》り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺《ただ》せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙《ごめんこうむ》りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体《からだ》は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢《ぜいたく》を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云
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