《おお》せぬ時は、無理ながら事実とあきらめる事もある。去れどその事実を事実と証する程の出来事が驀地《ばくち》に現前せぬうちは、夢と思うてその日を過すが人の世の習いである。夢と思うは嬉しく、思わぬがつらいからである。戦は事実であると思案の臍《ほぞ》を堅めたのは昨日や今日の事ではない。只事実に相違ないと思い定めた戦いが、起らんとして起らぬ為め、であれかしと願う夢の思い[#「夢の思い」に傍点]は却《かえ》って「事実になる」の念を抑《おさ》ゆる事もあったのであろう。一年は三百六十五日、過ぐるは束《つか》の間である。七日とは一年の五十|分《ぶ》一にも足らぬ。右の手を挙げて左の指を二本加えればすぐに七である。名もなき鬼に襲われて、名なき故に鬼にあらずと、強《し》いて思いたるに突然正体を見付けて今更眼力の違《たが》わぬを口惜《くちお》しく思う時の感じと異なる事もあるまい。ウィリアムは真青《まっさお》になった。隣りに坐したシワルドが病気かと問う。否と答えて盃を唇につける。充たざる酒の何に揺れてか縁を越して卓の上を流れる。その時ルーファスは再び起って夜鴉の城を、城の根に張る巌《いわお》もろともに海に落せ
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