たる手を翻がえす間と思われ、四日目から三日目に進むは翻がえす手を故《もと》に還《かえ》す間と見えて、三日、二日より愈戦の日を迎えたるときは、手さえ動かすひまなきに襲い来る如く感ぜられた。「飛ばせ」とシーワルドはウィリアムを顧みて云う。並ぶ轡《くつわ》の間から鼻嵐が立って、二つの甲が、月下に躍《おど》る細鱗《さいりん》の如く秋の日を射返す。「飛ばせ」とシーワルドが踵《かかと》を半ば馬の太腹に蹴込む。二人の頭《かしら》の上に長く挿《さ》したる真白な毛が烈《はげ》しく風を受けて、振り落さるるまでに靡《なび》く。夜鴉の城壁を斜めに見て、小高き丘に飛ばせたるシーワルドが右手《めて》を翳《かざ》して港の方《かた》を望む。「帆柱に掲げた旗は赤か白か」と後《おく》れたるウィリアムは叫ぶ。「白か赤か、赤か白か」と続け様に叫ぶ。鞍壺《くらつぼ》に延び上ったるシーワルドは体《たい》をおろすと等しく馬を向け直して一散に城門の方へ飛ばす。「続け、続け」とウィリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とウィリアムは叫ぶ。「阿呆《あほう》、丘へ飛ばすより壕《ほり》の中へ飛ばせ」とシーワルドはひたすらに城門の方へ飛ばす。港の入口には、埠頭《ふとう》を洗う浪を食って、胴の高い船が心細く揺れている。魔に襲われて夢安からぬ有様である。左右に低き帆柱を控えて、中に高き一本の真上には――「白だッ」とウィリアムは口の中で言いながら前歯で唇を噛《か》む。折柄《おりから》戦の声は夜鴉の城を撼《ゆる》がして、淋しき海の上に響く。
 城壁の高さは四《よ》丈、丸櫓《まるやぐら》の高さはこれを倍して、所々に壁を突き抜いて立つ。天の柱が落ちてその真中に刺された如く見ゆるは本丸であろう。高さ十九丈壁の厚《あつさ》は三丈四尺、これを四階に分って、最上の一層にのみ窓を穿《うが》つ。真上より真下に降《くだ》る井戸の如き道ありて、所謂《いわゆる》ダンジョンは尤《もっと》も低く尤も暗き所に地獄と壁一重を隔てて設けらるる。本丸の左右に懸け離れたる二つの櫓は本丸の二階から家根付の橋を渡して出入《しゅつにゅう》の便りを計る。櫓を環《めぐ》る三々五々の建物には厩《うまや》もある。兵士の住居《すまい》もある。乱を避くる領内の細民が隠るる場所もある。後ろは切岸《きりぎし》に海の鳴る音を聞き、砕くる浪の花の上に舞い下りては舞い上る鴎《かもめ》を見る。前は牛を呑む
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