打ち出したので、余の謡《うたい》が大崩《おおくずれ》になったという一段を編輯《へんしゅう》へ廻した。実は本当の元日なら、余の謡はもっと上手になってる訳だから、其の上手になった所を有《あり》の儘《まま》に告白したかったのだが、如何《いかん》せん、筆を執《と》ってる時は、元日にまだ間《ま》があったし、且《かつ》虚子が年始に見えるとも見えないとも極《き》まっていなかった上に、謡をうたう事も全然未定だったので、営業上已《やむ》を得ず一年前の極《きわ》めて告白し難い所を告白したのである。此の順で行くと此年は又去年の元日を読者に御覧に入れなければならん訳であるが、そうそう過去のまずい所ばかり吹聴《ふいちょう》するのは、如何《いか》にも現在の己に対して侮辱を加えるようで済まない気がするから故意《わざ》と略した。それで猶《なお》のこと塞《つか》えた。
元日新聞へ載《の》せるものには、どうも斯《こ》う云う困難が附帯して弱る。現に今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。家《うち》では餅《もち》もまだ搗《つ》かない。町内で松飾りを立てたものは一軒もない。机の前に坐《すわ》りながら何を書こ
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