る目出度《めでたく》ない現象に腐化して仕舞《しま》う。
 諸君子は已《やむ》を得ず年にちなんで、鶏の事を書いたり、犬の事を書いたりするが、これは寧《むし》ろ駄洒落《だじゃれ》を引き延ばした位のもので、要するに元日及び新年の実質とは痛痒相冒《つうようあいおか》す所なき閑事業である。いくら初刷だって、そんな無駄話で十頁《ページ》も二十頁も埋られた日には、元日の新聞は単に重量に於《おい》て各社ともに競争する訳になるんだから、其の出来不出来に対する具眼の審判者は、読者のうちでただ屑屋《くずや》丈《だけ》だろうと云われたって仕方がない。
 さればと云って、既に何十頁と事が極《きま》ってる上に、頭数を揃《そろ》える方が便利だと云う訳であって見れば、たとい具眼者が屑屋だろうが経師屋《きょうじや》だろうが相手を択《えら》んで筆を執《と》るなんて贅沢《ぜいたく》の云われた家業《かぎょう》じゃない。去年は「元旦」と見出を置いて一寸《ちょっと》考えた。何も浮《うかん》で来なかったので、一昨年の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北《とうぼく》と云う謡《うたい》をうたったところ、虚子が鼓を
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