の眼に這入《はい》る。足袋の主は見なくても知れている。
 紺足袋は静かに歩いて来た。
「藤尾」
 声は後《うしろ》でする。雨戸の溝《みぞ》をすっくと仕切った栂《つが》の柱を背に、欽吾は留ったらしい。藤尾は黙っている。
「また夢か」と欽吾は立ったまま、癖のない洗髪《あらいがみ》を見下《みおろ》した。
「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇《やまかがし》の首を擡《もた》げた時のようである。黒い髪に陽炎《かげろう》を砕く。
 男は、眼さえ動かさない。蒼《あお》い顔で見下《みおろ》している。向き直った女の額をじっと見下している。
「昨夕《ゆうべ》は面白かったかい」
 女は答える前に熱い団子をぐいと嚥《の》み下《くだ》した。
「ええ」と極めて冷淡な挨拶《あいさつ》をする。
「それは好かった」と落ちつき払って云う。
 女は急《せ》いて来る。勝気な女は受太刀だなと気がつけば、すぐ急いて来る。相手が落ちついていればなお急いて来る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々《ゆうゆう》として柱に倚《よ》って人を見下しているのは、酒を飲みつつ胡坐《あぐら》をかいて追剥《おいはぎ》をすると同様、ちと虫がよすぎる。
「驚くうちは楽《たのしみ》があるんでしょう」
 女は逆《さか》に寄せ返した。男は動じた様子もなく依然として上から見下している。意味が通じた気色《けしき》さえ見えぬ。欽吾の日記に云う。――ある人は十銭をもって一円の十分一《じゅうぶいち》と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間にはこれだけの差がある。段が違うものが喧嘩《けんか》をすると妙な現象が起る。
 姿勢を変えるさえ嬾《もの》うく見えた男はただ
「そうさ」と云ったのみである。
「兄さんのように学者になると驚きたくっても、驚ろけないから楽がないでしょう」
「楽《たのしみ》?」と聞いた。楽の意味が分ってるのかと云わぬばかりの挨拶と藤尾は思う。兄はやがて云う。
「楽はそうないさ。その代り安心だ」
「なぜ」
「楽のないものは自殺する気遣《きづかい》がない」
 藤尾には兄の云う事がまるで分らない。蒼い顔は依然として見下している。なぜと聞くのは不見識だから黙っている。
「御前のように楽《たのしみ》の多いものは危ないよ」
 藤尾は思わず黒髪に波を打たした。きっと見上げる上から兄は分ったかとやはり見下《みおろ》している。何事とも知らず「埃及《エジプト》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」と云う句を明かに思い出す。
「小野は相変らず来るかい」
 藤尾の眼は火打石を金槌《かなづち》の先で敲《たた》いたような火花を射る。構わぬ兄は
「来ないかい」と云う。
 藤尾はぎりぎりと歯を噛《か》んだ。兄は談話を控えた。しかし依然として柱に倚《よ》っている。
「兄さん」
「何だい」とまた見下す。
「あの金時計は、あなたには渡しません」
「おれに渡さなければ誰に渡す」
「当分|私《わたし》があずかって置きます」
「当分御前があずかる? それもよかろう。しかしあれは宗近にやる約束をしたから……」
「宗近さんに上げる時には私から上げます」
「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。
「私から――ええ私から――私から誰かに上げます」と寄木《よせき》の机に凭《もた》せた肘《ひじ》を跳《は》ねて、すっくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊《とくさ》と海老茶《えびちゃ》の棒縞《ぼうじま》が、棒のごとく揃《そろ》って立ち上がる。裾《すそ》だけが四色《よいろ》の波のうねりを打って白足袋の鞐《こはぜ》を隠す。
「そうか」
と兄は雲斎底《うんさいぞこ》の踵《かかと》を見せて、向《むこう》へ行ってしまった。
 甲野さんが幽霊のごとく現われて、幽霊のごとく消える間に、小野さんは近づいて来る。いくたびの降る雨に、土に籠《こも》る青味を蒸《む》し返して、湿《しめ》りながらに暖かき大地を踏んで近づいて来る。磨《みが》き上げた山羊《やぎ》の皮に被《かむ》る埃《ほこり》さえ目につかぬほどの奇麗《きれい》な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近づいて来る。
 世を投《な》げ遣《や》りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐《ひも》を丸打に結んで、細い杖に本来空《ほんらいくう》の手持無沙汰《てもちぶさた》を紛《まぎ》らす甲野さんと、近づいてくる小野さんは塀《へい》の側《そば》でぱたりと逢った。自然は対照を好む。
「どこへ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑いながら寄ってくる。
「やあ」と受け応《こたえ》があった。そのまま洋杖《ステッキ》は動かなくなる。本来は洋杖さえ手持無沙汰なものである。
「今、ちょっと行こうと思って……」
「行きたまえ。藤尾はいる」と甲野さんは素直に相手を通す気である。小野さんは躊躇《ちゅうちょ》する。
「君はどこへ」とまた聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなっても構わないと云う態度は小野さんの取るに忍びざるところである。
「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引っ張り廻すように、何かが僕を引っ張り廻すだけだ」
「ハハハハだいぶ哲学的だね。――散歩?」と下から覗《のぞ》き込《こ》んだ。
「ええ、まあ……好い天気だね」
「好い天気だ。――散歩より博覧会はどうだい」
「博覧会か――博覧会は――昨夕《ゆうべ》見た」
「昨夕行ったって?」と小野さんの眼は一時に坐る。
「ああ」
 小野さんはああ[#「ああ」に傍点]の後から何か出て来るだろうと思って、控えている。時鳥《ほととぎす》は一声で雲に入ったらしい。
「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いて見る。
「いいや。誘われたから行った」
 甲野さんにははたして連《つれ》があった。小野さんはもう少し進んで見なければ済まないようになる。
「そうかい、奇麗だったろう」とまず繋《つな》ぎに出して置いて、そのうちに次の問を考える事にする。ところが甲野さんは簡単に
「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまとまらないうち、すぐ何とか付けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞こうとしたが、聞かぬ前にいや「何時《なんじ》頃?」の方が便宜《べんぎ》ではあるまいかと思う。いっそ「僕も行った」と打って出ようか知ら、そうしたら先方の答次第で万事が明暸《めいりょう》になる。しかしそれもいらぬ事だ。――小野さんは胸の上、咽喉《のど》の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢《あか》ほど先《せん》を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻《ひるが》えす事の出来ぬ宿命論者である。
「まあ行きたまえ」とまた甲野さんが云う。催促されるような気持がする。運命が左へと指図《さしず》をしたらしく感じた時、後《うしろ》から押すものがあれば、すぐ前へ出る。
「じゃあ……」と小野さんは帽子をとる。
「そうか、じゃあ失敬」と細い杖は空間を二尺ばかり小野さんから遠退《とおの》いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽《ひ》かれて故《もと》へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵《かかと》に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描《えが》く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。
 一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭《こうべ》を回《めぐ》らして、棄身《すてみ》に細い体を大地に托した杖に問いかけた。
「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」
 棒のごとく真直《まっすぐ》に立ち上がった杖は答える。
「ああ、藤尾も行った。――ことに因《よ》ると今日は下読が出来ていないかも知れない」
 細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被《かぶ》ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛《か》かる。
 小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚《よ》りながら、席に返らぬ爪先《つまさき》を、雨戸引く溝の上に翳《かざ》して、手広く囲い込んだ庭の面を眺《なが》めている。藤尾が椽の柱に倚りかかるよほど前から、謎《なぞ》の女は立て切った一間《ひとま》のうちで、鳴る鉄瓶《てつびん》を相手に、行く春の行き尽さぬ間《ま》を、根限《こんかぎ》り考えている。
 欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考《かんがえ》は、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍《ふえん》すると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音《ね》を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑《ひま》のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。
 居住《いずまい》は心を正す。端然《たんねん》と恋に焦《こが》れたもう雛《ひいな》は、虫が喰うて鼻が欠けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六畳敷の人生観もまたしとやかでなくてはならぬ。
 老いて夫《おっと》なきは心細い。かかるべき子なきはなおさら心細い。かかる子が他人なるは心細い上に忌《いま》わしい。かかるべき子を持ちながら、他人にかからねばならぬ掟《おきて》は忌わしいのみか情《なさ》けない。謎の女は自《みずから》を情ない不幸の人と信じている。
 他人でも合わぬとは限らぬ。醤油《しょうゆ》と味淋《みりん》は昔から交っている。しかし酒と煙草をいっしょに呑《の》めば咳が出る。親の器《うつわ》の方円に応じて、盛らるる水の調子を合わせる欽吾ではない。日を経《へ》れば日を重ねて隔《へだた》りの関が出来る。この頃は江戸の敵《かたき》に長崎で巡《めぐ》り逢《あ》ったような心持がする。学問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆《さから》って、師走《しわす》正月の拍子《ひょうし》をはずすための修業ではあるまい。金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子《しし》としては不都合と思う。こんなものに死水《しにみず》を取って貰う気もないし、また取るほどの働のあるはずがない。
 幸《さいわい》と藤尾がいる。冬を凌《しの》ぐ女竹《めだけ》の、吹き寄せて夜《よ》を積る粉雪《こゆき》をぴんと撥《は》ねる力もある。十目《じゅうもく》を街頭に集むる春の姿に、蝶《ちょう》を縫い花を浮かした派出《はで》な衣裳《いしょう》も着せてある。わが子として押し出す世間は広い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷うは人の随意である。三国一の婿《むこ》と名乗る誰彼を、迷わしてこそ、焦《じ》らしてこそ、育て上げた母の面目は揚《あが》る。海鼠《なまこ》の氷ったような他人にかかるよりは、羨《うらやま》しがられて華麗《はなやか》に暮れては明ける実の娘の月日に添うて墓に入るのが順路である。
 蘭《らん》は幽谷《ゆうこく》に生じ、剣は烈士に帰す。美くしき娘には、名ある聟《むこ》を取らねばならぬ。申込はたくさんあるが、娘の気に入らぬものは、自分の気に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合わぬ指輪は貰っても捨てるばかりである。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出来ぬ。したがって聟は今日《こんにち》まで出来ずにいた。燦《さん》として群がるもののうちにただ一人小野さんが残っている。小野さんは大変学問のできる人だと云う。恩賜の時計をいただいたと云う。もう少し立つと博士になると云う。のみならず愛嬌《あいきょう》があって親切である。上品で調子がいい。藤尾の聟として恥ずかしくはあるまい。世話になっても心持がよかろう。
 小野さんは申分《もうしぶん》のない聟である。ただ財産のないのが欠点である。しかし聟の財
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