金と藍《あい》に光る傍《かたわら》に、ころりんと掻《か》き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。
「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。
「耳に聴《き》くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕《とら》えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空《ほんらいくう》の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」
琴の手は次第に繁くなる。雨滴《あまだれ》の絶間《たえま》を縫《ぬ》うて、白い爪が幾度か駒《こま》の上を飛ぶと見えて、濃《こまや》かなる調べは、太き糸の音《ね》と細き音を綯《よ》り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃《むげん》の琴を聴《き》いて始めて序破急《じょはきゅう》の意義を悟る」と書き終った時、椅子《いす》に靠《もた》れて隣家《となり》ばかりを瞰下《みおろ》していた宗近君は
「おい、甲野さん、理窟《りくつ》ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨《うま》いぜ」
と椽側《えんがわ
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