《い》きた母よりもたしかだよ。たしかだよ」
 椅子に倚る人の顔は、この言葉と共に、自《おのず》からまた画像の方に向った。向ったなりしばらくは動かない。活きた眼は上から見下《みおろ》している。
 しばらくして、椅子に倚る人が云う。――
「御叔父《おじ》さんも気の毒な事をしたなあ」
 立つ人は答えた。――
「あの眼は活きている。まだ活きている」
 言い終って、部屋の中を歩き出した。
「庭へ出よう、部屋の中は陰気でいけない」
 席を立った宗近君は、横から来て甲野さんの手を取るや否や、明け放った仏蘭西窓《フランスまど》を抜けて二段の石階を芝生《しばふ》へ下《くだ》る。足が柔かい地に着いた時、
「いったいどうしたんだ」と宗近君が聞いた。
 芝生は南に走る事十間余にして、高樫《たかがし》の生垣に尽くる。幅は半ばに足らぬ。繁《しげ》き植込に遮《さえ》ぎられた奥は、五坪《いつつぼ》ほどの池を隔てて、張出《はりだし》の新座敷には藤尾の机が据えてある。
 二人は緩《ゆる》き歩調に、芝生を突き当った。帰りには二三間|迂回《うねっ》て、植込の陰を書斎の方《かた》へ戻って来た。双方共無言である。足並は偶然にも揃
前へ 次へ
全488ページ中416ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング