厭だと、と云って甲野の方から御前を貰いに来るのはいつの事だか分らずと……」
「いつまで待ったって、そんな事があるものですか。私には欽吾さんの胸の中がちゃんと分っています」
「だからさ、兄さんが受合うんだよ。是非甲野にうんと云わせるんだよ」
「だって……」
「何云わせて見せる。兄さんが責任をもって受合うよ。なあに大丈夫だよ。兄さんもこの頭が延びしだい外国へ行かなくっちゃならない。すると当分糸公にも逢《あ》えないから、平生《へいぜい》親切にしてくれた御礼に、やってやるよ。――狐の袖無《ちゃんちゃん》の御礼に。ねえ好いだろう」
糸子は何とも答えなかった。下で阿父《おとっ》さんが謡《うたい》をうたい出す。
「そら始まった――じゃ行って来るよ」と宗近君は中二階《ちゅうにかい》を下りる。
十七
小野と浅井は橋まで来た。来た路は青麦の中から出る。行く路は青麦のなかに入る。一筋を前後に余して、深い谷の底を鉄軌《レエル》が通る。高い土手は春に籠《こも》る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風《びょうぶ》のごとく弧形に折れて遥《はる》かに去る。断橋《だんきょう
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