がしら》を敲《たた》いた父《おとっ》さんは、視線さえ椽側《えんがわ》の方へ移した。最前植え易《か》えた仏見笑《ぶっけんしょう》が鮮《あざやか》な紅《くれない》を春と夏の境《さかい》に今ぞと誇っている。
「だけれども断ったんだか、断らないんだか分らないのは厄介《やっかい》ですね」
「厄介だよ。あの女にかかると今までも随分厄介な事がだいぶあった。猫撫声《ねこなでごえ》で長ったらしくって――私《わし》ゃ嫌《きらい》だ」
「ハハハハそりゃ好いが――ついに談判は発展しずにしまったんですか」
「つまり先方の云うところでは、御前が外交官の試験に及第したらやってもいいと云うんだ」
「じゃ訳ない。この通り及第したんだから」
「ところがまだあるんだ。面倒な事が。まことにどうも」と云いながら父《おとっ》さんは、手の平を二つ内側へ揃《そろ》えて眼の球をぐりぐり擦《こす》る。眼の球は赤くなる。
「及第しても駄目なんですか」
「駄目じゃあるまいが――欽吾《きんご》がうちを出ると云うそうだ」
「馬鹿な」
「もし出られてしまうと、年寄の世話の仕手がなくなる。だから藤尾に養子をしなければならない。すると宗近へでも、どこ
前へ 次へ
全488ページ中381ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング