らない人格です。あなたには一さんは分るでしょう。しかし小野さんの価値《ねうち》は分りません。けっして分りません。一さんを賞《ほ》める人に小野さんの価値が分る訳がありません。……」
「じゃ小野にするさ」
「無論します」
 云い棄《す》てて紫の絹《リボン》は戸口の方へ揺《うご》いた。繊《ほそ》い手に円鈕《ノッブ》をぐるりと回すや否《いな》や藤尾の姿は深い背景のうちに隠れた。

        十六

 叙述の筆は甲野《こうの》の書斎を去って、宗近《むねちか》の家庭に入る。同日である。また同刻である。
 相変らずの唐机《とうづくえ》を控えて、宗近の父《おとっ》さんが鬼更紗《おにざらさ》の座蒲団《ざぶとん》の上に坐っている。襯衣《シャツ》を嫌った、黒八丈《くろはちじょう》の襦袢《じゅばん》の襟《えり》が崩《くず》れて、素肌に、もじゃ、もじゃと胸毛が見える。忌部焼《いんべやき》の布袋《ほてい》の置物にこんなのがよくある。布袋の前に異様の煙草盆《たばこぼん》を置く。呉祥瑞《ごしょんずい》の銘のある染付《そめつけ》には山がある、柳がある、人物がいる。人物と山と同じくらいな大きさに描《えが》かれている
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