ら」と翻《ひるが》える襦袢《じゅばん》の袖《そで》のほのめくうちを、二本の指に、ここと抑《おさ》えて、軽く抜き取る。
「ハハハハ見えない所でも、旨《うま》く手が届くね。盲目《めくら》にすると疳《かん》の好い按摩《あんま》さんが出来るよ」
「だって慣《な》れてるんですもの」
「えらいもんだ。時に糸公面白い話を聞かせようか」
「なに」
「京都の宿屋の隣に琴《こと》を引く別嬪《べっぴん》がいてね」
「端書《はがき》に書いてあったんでしょう」
「ああ」
「あれなら知っててよ」
「それがさ、世の中には不思議な事があるもんだね。兄さんと甲野さんと嵐山《あらしやま》へ御花見に行ったら、その女に逢ったのさ。逢ったばかりならいいが、甲野さんがその女に見惚《みと》れて茶碗を落してしまってね」
「あら、本当? まあ」
「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰る時に、またその女と乗り合せてね」
「嘘《うそ》よ」
「ハハハハとうとう東京までいっしょに来た」
「だって京都の人がそうむやみに東京へくる訳がないじゃありませんか」
「それが何かの因縁《いんねん》だよ」
「人を……」
「まあ御聞きよ。甲野が汽車の中であの
前へ
次へ
全488ページ中207ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング