れから始まる。これから小説を始める人の生活ほど気の毒なものはない。
小野さんも同じ事である。打ち遣《や》った過去は、夢の塵《ちり》をむくむくと掻《か》き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜《ごみため》から出す。おやと思う間《ま》に、ぬっくと立って歩いて来る。打ち遣った時に、生息《いき》の根を留《と》めて置かなかったのが無念であるが、生息は断わりもなく向《むこう》で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が気紛《きまぐれ》の時節を誤って、暖たかき陽炎《かげろう》のちらつくなかに甦《よみが》えるのは情《なさ》けない。甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労《いたわ》らねば済まぬ。生れてから済まぬ事はただの一度もした事はない。今後とてもする気はない。済まぬ事をせぬように、また自分にも済むように、小野さんはちょっと未来の袖《そで》に隠れて見た。紫《むらさき》の匂は強く、近づいて来る過去の幽霊もこれならばと度胸を据《す》えかける途端《とたん》に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕が入る。作者は小夜子を気の毒に思うごとくに、小野さんをも気の毒に思う。
「阿父《おとっさん
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