かだ」
「ちょうどおれのようだな。だから、おれは寺へ這入《はい》ると好い気持ちになるんだろう」
「ハハハそうかも知れない」
「して見ると夢窓国師がおれに似ているんで、おれが夢窓国師に似ているんじゃない」
「どうでも、好いさ。――まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池《れんち》に渡した石橋《せっきょう》の欄干《らんかん》に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松《さんがいまつ》が三寸の厚さを透《す》かして水に臨んでいる。石には苔《こけ》の斑《ふ》が薄青く吹き出して、灰を交えた紫《むらさき》の質に深く食い込む下に、枯蓮《かれはす》の黄《き》な軸《じく》がすいすいと、去年の霜《しも》を弥生《やよい》の中に突き出している。
宗近君は燐寸《マッチ》を出して、煙草《たばこ》を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。
「夢窓国師はそんな悪戯《いたずら》はしなかった」と甲野さんは、※[#「月+咢」、第3水準1−90−51]《あご》の先に、両手で杖《つえ》の頭《かしら》を丁寧に抑えている。
「それだけ、おれより下等なんだ。ちっと宗近国師の真似《まね》をするが好い」
「君は国師より馬賊になる方がよかろう」
「外交官の馬賊は少し変だから、まあ正々堂々と北京《ペキン》へ駐在する事にするよ」
「東洋専門の外交官かい」
「東洋の経綸さ。ハハハハ。おれのようなのはとうてい西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも修業したら、君の阿爺《おやじ》ぐらいにはなれるだろうか」
「阿爺のように外国で死なれちゃ大変だ」
「なに、あとは君に頼むから構わない」
「いい迷惑だね」
「こっちだってただ死ぬんじゃない、天下国家のために死ぬんだから、そのくらいな事はしてもよかろう」
「こっちは自分一人を持て余しているくらいだ」
「元来、君は我儘《わがまま》過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」
今までは真面目の上に冗談《じょうだん》の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。
「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後《うし》ろへ開いた。
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」
「たまたま風邪《かぜ》が癒《なお》れば長命だと思ってる」
「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。
「日本と露西亜《ロシア》の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」
「無論さ」
「亜米利加《アメリカ》を見ろ、印度《インド》を見ろ、亜弗利加《アフリカ》を見ろ」
「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」
「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」
「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
「大概は知らぬ間《ま》に殺されているんだ」
すべてを爪弾《つまはじ》きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋《せっきょう》を敲《たた》いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。
「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山《がざん》と云う坊主は一椀の托鉢《たくはつ》だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝《ね》た箸《はし》を竪《たて》にする事も出来ん」
「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。
世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯《さっ》と開《ひら》いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨《さが》の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹《ひんぷんらくえき》と嵐山《らんざん》に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。
天竜寺《てんりゅうじ》の門前を左へ折れれば釈迦堂《しゃかどう》で右へ曲れば渡月橋《とげつきょう》である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場《ステーション》の方へ旅衣《たびごろも》七日《なのか》余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条《にじょう》から半時《はんとき》ごとに花時を空《あだ》にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。
「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢《たいせい》を忘れている。京ほどに女の綺羅《きら》を飾る所はない。天下の大勢も、京女《きょうおんな》の色には叶《かな》わぬ。
「京都のものは朝夕都踊りをしている。気楽なものだ」
「だから小野的だと云うんだ」
「しかし都踊はいいよ」
「悪《わ》るくないね。何となく景気がいい」
「いいえ。あれを見るとほとんど異性《セックス》の感がない。女もあれほどに飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」
「
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