》いて不安が這入《はい》る。下女は悪《わ》るいところへぶつかった。愛嬌が退いて不安が這入る。愛嬌が附焼刃《つけやきば》で不安が本体だと思うのは偽哲学者である。家主《いえぬし》が這入るについて、愛嬌が示談《じだん》の上、不安に借家を譲り渡したまでである。それにしても小野さんは悪るいところを下女に見られた。
「通してもいいんですか」
「うん、そうさね」
「御留守だって云いましょうか」
「誰だい」
「浅井さん」
「浅井か」
「御留守?」
「そうさね」
「御留守になさいますか」
「どう、しようか知ら」
「どっち、でも」
「逢《あ》おうかな」
「じゃ、通しましょう」
「おい、ちょっと、待った。おい」
「何です」
「ああ、好《い》い。好《よ》し好し」
友達には逢いたい時と、逢いたくない時とある。それが判然すれば何の苦もない。いやなら留守を使えば済む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使う勇気のある男である。ただ困るのは逢いたくもあり、逢いたくもなくて、前へ行ったり後《うし》ろへ戻ったりして下女にまで馬鹿にされる時である。
往来で人と往き合う事がある。双方でちょっと体《たい》を交《か》わせば、それぎりで御互にもとの通り、あかの他人となる。しかし時によると両方で、同じ右か、同じ左りへ避《よ》ける。これではならぬと反対の側へ出ようと、足元を取り直すとき、向うもこれではならぬと気を換《か》えて反対へ出る。反対と反対が鉢合《はちあわ》せをして、おいしまったと心づいて、また出直すと、同時同刻に向うでも同様に出直してくる。両人は出直そうとしては出遅れ、出遅れては出直そうとして、柱時計の振子《ふりこ》のようにこっち、あっちと迷い続けに迷うてくる。しまいには双方で双方を思い切りの悪《わ》るい野郎だと悪口《わるくち》が云いたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思い切りの悪るい野郎だと云われるところであった。
そこへ浅井君が這入《はい》ってくる。浅井君は京都以来の旧友である。茶の帽子のいささか崩れかかったのを、右の手で圧《お》し潰《つぶ》すように握って、畳の上へ抛《ほう》り出すや否や
「ええ天気だな」と胡坐《あぐら》をかく。小野さんは天気の事を忘れていた。
「いい天気だね」
「博覧会へ行ったか」
「いいや、まだ行かない」
「行って見い、面白いぜ。昨日《きのう》行っての、アイスク
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