の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻《か》き廻した。促《うな》がされた事には頓着《とんじゃく》する気色《けしき》もなく、
「君はあの山を頑固《がんこ》だと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排《あんばい》じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空《あ》いた方の手に栄螺《さざえ》の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角《かど》から斜《なな》めに相手を見下《みおろ》した。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖《ステッキ》を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否《いな》や、歩行《ある》き出した。瘠《や》せた男も手巾《ハンケチ》を袂《たもと》に収めて歩行き出す。
「今日は山端《やまばな》の平八茶屋《へいはちぢゃや》で一日《いちんち》遊んだ方がよかった。今から登ったって中途|半端《はんぱ》になるばかりだ。元来《がんらい》頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
瘠《や》せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌《しゃべ》り続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損《みそこな》ってしまう。連《つれ》こそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当《けんとう》がつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠《や》せた
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