抱く珠の光りを夜《よ》に抜いて、二百里の道を遥々《はるばる》と闇の袋より取り出した時、珠は現実の明海《あかるみ》に幾分か往昔《そのかみ》の輝きを失った。
小夜子《さよこ》は過去の女である。小夜子の抱けるは過去の夢である。過去の女に抱かれたる過去の夢は、現実と二重の関を隔てて逢《あ》う瀬はない。たまたまに忍んで来れば犬が吠《ほ》える。自《みず》からも、わが来《く》る所ではないか知らんと思う。懐に抱く夢は、抱くまじき罪を、人目を包む風呂敷に蔵《かく》してなおさらに疑《うたがい》を路上に受くるような気がする。
過去へ帰ろうか。水のなかに紛れ込んだ一雫《ひとしずく》の油は容易に油壺《あぶらつぼ》の中へ帰る事は出来ない。いやでも応でも水と共に流れねばならぬ。夢を捨てようか。捨てられるものならば明海へ出ぬうちに捨ててしまう。捨てれば夢の方で飛びついて来る。
自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自《てんで》に働き出すと苦しい矛盾が起る。多くの小説はこの矛盾を得意に描《えが》く。小夜子の世界は新橋の停車場《ステーション》へぶつかった時、劈痕《ひび》が入った。あとは割れるばかりである。小説はこれから始まる。これから小説を始める人の生活ほど気の毒なものはない。
小野さんも同じ事である。打ち遣《や》った過去は、夢の塵《ちり》をむくむくと掻《か》き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜《ごみため》から出す。おやと思う間《ま》に、ぬっくと立って歩いて来る。打ち遣った時に、生息《いき》の根を留《と》めて置かなかったのが無念であるが、生息は断わりもなく向《むこう》で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が気紛《きまぐれ》の時節を誤って、暖たかき陽炎《かげろう》のちらつくなかに甦《よみが》えるのは情《なさ》けない。甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労《いたわ》らねば済まぬ。生れてから済まぬ事はただの一度もした事はない。今後とてもする気はない。済まぬ事をせぬように、また自分にも済むように、小野さんはちょっと未来の袖《そで》に隠れて見た。紫《むらさき》の匂は強く、近づいて来る過去の幽霊もこれならばと度胸を据《す》えかける途端《とたん》に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕が入る。作者は小夜子を気の毒に思うごとくに、小野さんをも気の毒に思う。
「阿父《おとっさん
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