きま》なく渋《しぶ》の洩《も》れた劈痕焼《ひびやき》に、二筋三筋|藍《あい》を流す波を描《えが》いて、真白《ましろ》な桜を気ままに散らした、薩摩《さつま》の急須《きゅうす》の中には、緑りを細く綯《よ》り込んだ宇治《うじ》の葉が、午《ひる》の湯に腐《ふ》やけたまま、ひたひたに重なり合うて冷えている。
「御茶でも入れようかね」
「いいえ」と藤尾は疾《と》く抜け出した香《かおり》のなお余りあるを、急須と同じ色の茶碗のなかに畳み込む。黄な流れの底を敲《たた》くほどは、さほどとも思えぬが、縁《ふち》に近くようやく色を増して、濃き水は泡《あわ》を面《おもて》に片寄せて動かずなる。
母は掻《か》き馴《な》らしたる灰の盛り上りたるなかに、佐倉炭《さくらずみ》の白き残骸《なきがら》の完《まった》きを毀《こぼ》ちて、心《しん》に潜む赤きものを片寄せる。温《ぬく》もる穴の崩《くず》れたる中には、黒く輪切の正しきを択《えら》んで、ぴちぴちと活《い》ける。――室内の春光は飽《あ》くまでも二人《ふたり》の母子《ぼし》に穏かである。
この作者は趣なき会話を嫌う。猜疑《さいぎ》不和の暗き世界に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴《かんかそきん》の春を司《つかさ》どる人の歌めく天《あめ》が下《した》に住まずして、半滴《はんてき》の気韻《きいん》だに帯びざる野卑の言語を臚列《ろれつ》するとき、毫端《ごうたん》に泥を含んで双手に筆を運《めぐ》らしがたき心地がする。宇治の茶と、薩摩の急須《きゅうす》と、佐倉の切り炭を描《えが》くは瞬時の閑《かん》を偸《ぬす》んで、一弾指頭《いちだんしとう》に脱離の安慰を読者に与うるの方便である。ただし地球は昔《むか》しより廻転する。明暗は昼夜を捨てぬ。嬉《うれ》しからぬ親子の半面を最も簡短に叙するはこの作者の切《せつ》なき義務である。茶を品し、炭を写したる筆は再び二人の対話に戻らねばならぬ。二人の対話は少なくとも前段より趣がなくてはならぬ。
「宗近と云えば、一《はじめ》もよっぽど剽軽者《ひょうきんもの》だね。学問も何にも出来ない癖に大きな事ばかり云って、――あれで当人は立派にえらい気なんだよ」
厩《うまや》と鳥屋《とや》といっしょにあった。牝鶏《めんどり》の馬を評する語に、――あれは鶏鳴《とき》をつくる事も、鶏卵
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