見ると、何だか馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいと思うにつけて、たとい親しい間柄とは云え、用もないのに早朝から人の家《うち》へ飛び込んだのが手持無沙汰に感ぜらるる。
「どうして、こんなに早く、――何か用事でも出来たんですか」と御母《おっか》さんが真面目《まじめ》に聞く。どう答えて宜《よ》いか分らん。嘘をつくと云ったって、そう咄嗟《とっさ》の際に嘘がうまく出るものではない。余は仕方がないから「ええ」と云った。
「ええ」と云った後《あと》で、廃《よ》せば善《よ》かった、――一思いに正直なところを白状してしまえば善かったと、すぐ気がついたが、「ええ」の出たあとはもう仕方がない。「ええ」を引き込める訳《わけ》に行かなければ「ええ」を活《い》かさなければならん。「ええ」とは単簡《たんかん》な二文字であるが滅多《めった》に使うものでない、これを活かすにはよほど骨が折れる。
「何か急な御用なんですか」と御母さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないからまた「ええ」と答えて置いて、「露子さん露子さん」と風呂場の方を向いて大きな声で怒鳴《どな》って見た。
「あら、どなたかと思ったら、御早いのねえ――どうなすったの、
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