り寝てしまう。勉強どころか湯にも碌々《ろくろく》這入《はい》らないくらいだ」と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨《うら》めしいと云う顔をして見せる。
津田君はこの一言《いちごん》に少々同情の念を起したと見えて「なるほど少し瘠《や》せたようだぜ、よほど苦しいのだろう」と云う。気のせいか当人は学士になってから少々|肥《ふと》ったように見えるのが癪《しゃく》に障《さわ》る。机の上に何だか面白そうな本を広げて右の頁《ページ》の上に鉛筆で註が入れてある。こんな閑《ひま》があるかと思うと羨《うらや》ましくもあり、忌々《いまいま》しくもあり、同時に吾身が恨《うら》めしくなる。
「君は不相変《あいかわらず》勉強で結構だ、その読みかけてある本は何かね。ノートなどを入れてだいぶ叮嚀《ていねい》に調べているじゃないか」
「これか、なにこれは幽霊の本さ」と津田君はすこぶる平気な顔をしている。この忙《いそが》しい世の中に、流行《はや》りもせぬ幽霊の書物を澄《す》まして愛読するなどというのは、呑気《のんき》を通り越して贅沢《ぜいたく》の沙汰だと思う。
「僕も気楽に幽霊でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小
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