ゃくちゃに掻《か》いて見る。一週間ほど湯に入《はい》って頭を洗わんので指の股《また》が油でニチャニチャする。この静かな世界が変化したら――どうも変化しそうだ。今夜のうち、夜の明けぬうち何かあるに相違ない。この一秒を待って過ごす。この一秒もまた待ちつつ暮らす。何を待っているかと云われては困る。何を待っているか自分に分らんから一層の苦痛である。頭から抜き取った手を顔の前に出して無意味に眺《なが》める。爪の裏が垢《あか》で薄黒く三日月形に見える。同時に胃嚢《いぶくろ》が運動を停止して、雨に逢った鹿皮を天日《てんぴ》で乾《ほ》し堅めたように腹の中が窮窟《きゅうくつ》になる。犬が吠《ほ》えれば善《よ》いと思う。吠えているうちは厭《いや》でも、厭な度合が分る。こう静かになっては、どんな厭な事が背後に起りつつあるのか、知らぬ間《ま》に醸《かも》されつつあるか見当《けんとう》がつかぬ。遠吠なら我慢する。どうか吠えてくれればいいと寝返りを打って仰向《あおむ》けになる。天井に丸くランプの影が幽《かす》かに写る。見るとその丸い影が動いているようだ。いよいよ不思議になって来たと思うと、蒲団《ふとん》の上で脊髄《せきずい》が急にぐにゃりとする。ただ眼だけを見張って、たしかに動いておるか、おらぬかを確める。――確かに動いている。平常《ふだん》から動いているのだが気がつかずに今日《きょう》まで過したのか、または今夜に限って動くのかしらん。――もし今夜だけ動くのなら、ただごとではない。しかしあるいは腹工合《はらぐあい》のせいかも知れまい。今日会社の帰りに池《いけ》の端《はた》の西洋料理屋で海老《えび》のフライを食ったが、ことによるとあれが祟《たた》っているかもしれん。詰らん物を食って、銭《ぜに》をとられて馬鹿馬鹿しい廃《よ》せばよかった。何しろこんな時は気を落ちつけて寝るのが肝心《かんじん》だと堅く眼を閉じて見る。すると虹霓《にじ》を粉《こ》にして振り蒔《ま》くように、眼の前が五色の斑点でちらちらする。これは駄目だと眼を開《あ》くとまたランプの影が気になる。仕方がないからまた横向になって大病人のごとく、じっとして夜の明けるのを待とうと決心した。
 横を向いてふと目に入ったのは、襖《ふすま》の陰に婆さんが叮嚀《ていねい》に畳んで置いた秩父銘仙《ちちぶめいせん》の不断着である。この前四谷に行って露子の
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