ます。
 従って現代の教育の傾向、文学の潮流が、自然主義的であるためにボツボツその弊害が表われて、日本の自然主義という言辞は甚だしく卑《いや》しむべきものになって来た。けれどもこれは間違である。自然主義はそんな非倫理的なものではない、自然主義そのものは日本の文学の一部に表われたようなものではなく、単に彼らはその欠点のみを示したのである。前にも言った通り如何に文学といえども決して倫理範囲を脱しているものではなく、少くも、倫理的渇仰の念を何所《いずこ》にか萌《きざ》さしめなければならぬものであります。
 人間の心の底に永久に、ローマン主義の英雄崇拝的情緒的の傾向の存する限り、この心は永存するものであるが、それを全く無視して、人間の弱点ばかりを示すのは、文学としての真価を有するものでない、片輪《かたわ》な出来損《できそこな》いの芸術であります。如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処《いずこ》にかこれに対する悪感《おかん》とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌《も》え出《い》づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今
前へ 次へ
全16ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング