《こ》まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀《ぎんわん》を象牙《ぞうげ》の箸《はし》で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒《さ》ましたら、時計はとくに鳴《な》りやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴りかたが、しだいに細く、しだいに遠く、しだいに濃《こまや》かに、耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳のなかへ、脳のなかから、心の底へ浸《し》み渡《わた》って、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾《つ》いて行く事のできぬ、遐《はる》かなる国へ抜け出して行くように思われた。この涼しき鈴《りん》の音《ね》が、わが肉体を貫《つらぬ》いて、わが心を透《すか》して無限の幽境に赴《おもむ》くからは、身も魂も氷盤のごとく清く、雪甌《せつおう》のごとく冷《ひやや》かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余はいよいよ寒かった。
暁《あかつき》は高い欅《けやき》の梢《こずえ》に鳴く烏《からす》で再度の夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折して鳴く。単純なる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂《かも》の明神《みょうじん》がかく鳴かしめて、うき
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