灯《ひ》が尽きる北の果《はて》まで通らねばならぬ。
「遠いよ」と主人が後《うしろ》から云う。「遠いぜ」と居士《こじ》が前から云う。余は中の車に乗って顫《ふる》えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日《きのう》までは擦《す》れ合《あ》う身体《からだ》から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身《そうみ》に煮浸《にじ》み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈《はげ》しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古《たいこ》の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏《さんぷく》の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽《しゅっこつ》とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。
「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅《かじ》を長く連《つら》ねて、狭《せば》く細い路《みち》を北へ北へと行く。静かな夜《よ》を、聞かざるかと輪《りん》を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮《さえぎ》られて、高く空に響く。かんかららん、かんからら
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング