村項の知られざる前と同じように人からその存在を忘れられるならば、日本の科学は木村博士一人の科学で、他の物理学者、数学者、化学者、乃至《ないし》動植物学者に至っては、単位をすら充たす事の出来ない出来損《できそこ》ないでなければならない。貧弱なる日本ではあるが、余《よ》にはこれほどまでに愚図《ぐず》が揃《そろ》って科学を研究しているとは思えない。その方面の知識に疎《うと》い寡聞《かぶん》なる余の頭にさえ、この断見《だんけん》を否定すべき材料は充分あると思う。
社会は今まで科学界をただ漫然と暗く眺めていた。そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値|所《どころ》か、全く自家の着衣喫飯《ちゃくいきっぱん》と交渉のない、徒事《いたずらごと》の如く見傚《みな》して来た。そうして学士会院の表彰に驚ろいて、急に木村氏をえらく吹聴《ふいちょう》し始めた。吹聴の程度が木村氏の偉さと比例するとしても、木村氏と他の学者とを合せて、一様に坑中《こうちゅう》に葬り去った一カ月前の無知なる公平は、全然破れてしまった訳になる。一旦《いったん》木村博士を賞揚《しょうよう》するならば、木村
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