る。暗い路は自《おの》ずと神経的に活《い》きて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上《のぼ》ろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋《うず》めて、上から下まで犇《ひしめ》いている。焔《ほのお》は坂の真上から容赦《ようしゃ》なく舞い上る。この人の渦《うず》に捲《ま》かれて、坂の上まで押し上げられたら、踵《くびす》を回《めぐ》らすうちに焦《こ》げてしまいそうである。
もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上《のぼ》るならこちらが楽で安全であると思い直して、出合頭《であいがしら》の人を煩《わずら》わしく避《よ》けて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇《はげ》しく号鈴《ベル》を鳴らして蒸汽喞筒《じょうきポンプ》が来た。退《の》かぬものはことごとく敷《し》き殺《ころ》すぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆《か》り立てながら、高い蹄《ひづめ》の音と共に、馬の鼻面《はなづら》を坂の方へ一捻《ひとひねり》に向直《むけなお》した。馬は泡を吹いた口を咽喉《のど》に摺《す》りつけて、尖《とが》った耳を前に立てたが、いきなり前足を揃《そろ》えてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天《はんてん》を着た男の提灯《ちょうちん》を掠《かす》めて、天鵞絨《びろうど》のごとく光った。紅色《べにいろ》に塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際《きわ》どく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳《か》け上がった。
坂の中途へ来たら、前は正面にあった※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》が今度は筋違《すじかい》に後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横丁《よこちょう》を見つけていると、細い路次《ろじ》のようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸《いっすん》のセキ[#「セキ」に傍点]もないほど詰《つ》んでいる。そうして互に懸命な声を揚《あ》げる。火は明かに向うに燃えている。
十分の後《のち》ようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組屋敷《くみやしき》ぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地《じ》を蹴《け》って、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨《さまた》げられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。
傍《そば》に押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号《さけ》ぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]は勢いを得て、静かな空を煽《あお》るように、凄《すさま》じく上《のぼ》る。……
翌日|午過《ひるすぎ》散歩のついでに、火元を見届《みとどけ》ようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨夕《ゆうべ》の路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲角《まがりかど》をまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬籠《ふゆごも》りと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見当《みあた》らない。火の揚《あ》がったのはこの辺だと思われる所は、奇麗《きれい》な杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微《かす》かに琴《こと》の音《ね》が洩《も》れた。
霧
昨宵《ゆうべ》は夜中《よじゅう》枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場《おおステーション》のある御蔭《おかげ》である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細《こま》かに割りつけて見ると、一分に一《ひ》と列車ぐらいずつ出入《でいり》をする訳になる。その各列車が霧《きり》の深い時には、何かの仕掛《しかけ》で、停車場|間際《まぎわ》へ来ると、爆竹《ばくちく》のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。
寝台《ねだい》を這《は》い下りて、北窓の日蔽《ブラインド》を捲《ま》き上げて外面《そと》を見おろすと、外面は一面に茫《ぼう》としている。下は芝生の底から、三方|煉瓦《れんが》の塀《へい》に囲われた一間余《いっけんよ》の高さに至るまで、何も見えない。ただ空《むな》しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂《しん》として凍《こお》っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗《きれい》なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯《ひげ》を生《はや》した御爺《おじい》さんが日向《ひなた》ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡《おうむ》を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴《くちばし》で突つかれそうに近く、鳥の傍《そば》へ持って行く。鸚鵡は羽搏《はばた》きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾《すそ》を引いて、絶え間なく芝刈《しばかり》器械をローンの上に転《ころ》がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧《きり》に埋《うま》って、荒果《あれは》てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。
裏通りを隔《へだ》てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺《てっぺん》でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖《とが》った頂きは無論の事、切石を不揃《ふそろい》に畳み上げた胴中《どうなか》さえ所在《ありか》がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音《ね》はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖《とざ》された。
表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮《ちぢ》まったかと思うと、歩けば歩《あ》るくほど新しい二間四方が露《あら》われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任《まか》せて消えて行く。
四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色《ねずみいろ》の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒《おか》して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢《あ》うときは、行き逢った時だけ奇麗《きれい》だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空《くう》の中に消えてしまう。漠々《ばくばく》として無色の裡《うち》に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠《かす》めて翻《ひる》がえった。眸《ひとみ》を凝《こ》らして、その行方《ゆくえ》を見つめていると、封じ込められた大気の裡《うち》に、鴎《かもめ》が夢のように微《かす》かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳《おごそか》に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音《おん》だけがする。
ヴィクトリヤで用を足《た》して、テート画館の傍《はた》を河沿《かわぞい》にバタシーまで来ると、今まで鼠色《ねずみいろ》に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭《ピート》を溶《と》いて濃く、身の周囲《まわり》に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼《せま》って来た。外套《がいとう》は抑《おさ》えられたかと思うほど湿《しめ》っている。軽い葛湯《くずゆ》を呼吸するばかりに気息《いき》が詰まる。足元は無論|穴蔵《あなぐら》の底を踏むと同然である。
自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然《ぼうぜん》と佇立《たたず》んだ。自分の傍《そば》を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々《もうもう》たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標《めあて》に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子《まどガラス》の前へ顔が出た。店の中では瓦斯《ガス》を点《つ》けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。
バタシーを通り越して、手探《てさぐ》りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋《しもたや》ばかりである。同じような横町が幾筋も並行《へいこう》して、青天の下《もと》でも紛《まぎ》れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直《まっすぐ》に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾《かたむ》けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退《とおの》いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂《しん》としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。
懸物
大刀老人《だいとうろうじん》は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑《せきひ》を立ててやろうと決心した。けれども倅《せがれ》の痩腕《やせうで》を便《たより》に、ようやく今日《こんにち》を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面《くめん》をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨《うら》めしいほど無雑作《むぞうさ》にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物《かけもの》も、とうに融通の利《き》くものに変形したはずである。
この懸物《かけもの》は方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹《すすだけ》のような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹《あんたん》として何が画《か》いてあるか分らない。老人はこれを王若水《おうじゃくすい》の画いた葵《あおい》だと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚《ふくろとだな》から出して、桐《きり》の箱の塵《ちり》を払って、中のものを丁寧《ていねい》に取り出して、直《じか》に三尺の壁へ懸《か》けては、眺めている。なるほど眺めていると、煤《すす》けたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青《ろくしょう》の剥《は》げた迹《あと》かと怪しまれる所も微《かす》かに残っている。老人はこの模糊《もこ》たる唐画《とうが》の古蹟に対《むか》って、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物《かけもの》をじっと見つめながら、煙草《たばこ》を吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触《つ》けようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触《さわ》ってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯《いたずら》をしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚《ふくろとだな》へしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋《あめや》へ寄って、薄荷入《はっかいり》の鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅《せがれ》が晩婚なので小供は六つと四つである。
倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷《ふろしき》に包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸《か》けて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款《らっかん》がないとか、画《え》が剥《は》げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うも
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