いくら要《い》ったかな」
「あの時は月末《つきずえ》に廿八円払いました」
 自分は妻の答を聞いて、座敷《ざしき》煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転《ころ》がっているのである。
「おい、もう少し子供を静かにできないかな」
 妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。
「お政《まさ》さんが御腹《おなか》が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」
 お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促《うなが》すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖《ふすま》を閉《た》てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。
 まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作《さく》を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆《うずた》かく積んである。この一週間ほどは仕事をし
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