》を蓄《ため》るように、ぽつりぽつりと殖《ふ》やして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙翁字典《さおうじてん》の原稿であると云う事は、ここへ来出《きだ》してしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛《なげう》って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七|志《シルリング》の御弟子を疎末《そまつ》にするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜|槃桓磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ばんかんほうはく》しているのみである。
 先生、シュミッドの沙翁字彙《さおうじい》がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽蔑《けいべつ》を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚《かんぷ》なきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵《こしら》えるく
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