論文と沙翁《さおう》のハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。
 学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢《あ》わなかったのが、偶然|倫敦《ロンドン》の真中でまたぴたりと出喰《でく》わした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異《かわ》って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。
 日本へ帰ってからまた逢《あ》わなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽《しんきらく》まで来いと云って来た。正午《ひる》までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控《ひか》えていた。妻《さい》に電話を懸《か》けさせて、明日《あす》じ
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