く忙《せわ》しい正月を迎えた。客の来ない隙間《すきま》を見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差出人《さしだしにん》の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥《は》ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後《のち》いろいろの事情があって、今国へ帰っている。御恩借《ごおんしゃく》の金子《きんす》は三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥《はが》れなかった。
その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹《あつもの》を食った。そうして、派出《はで》な小倉《こくら》の袴《はかま》を着けた蒼白《あおしろ》い青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件|御介意《ごかいい》に及ばずと云う一句を添えた。
モナリサ
井深《いぶか》は日曜になると、襟巻《えりまき》に懐手《ふところで》で、そこいらの古道具屋を覗《のぞ》き込んで歩るく。そのうちでもっとも汚《きた》ならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見世《みせ》を選《よ》っては、あれの、これのと捻《ひね》くり廻《まわ》す。固《もと》より茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。
井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄瓶《てつびん》の葢《ふた》だけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔《つば》を買って、これまた文鎮《ぶんちん》にした。今日はもう少し大きい物を目懸《めが》けている。懸物《かけもの》でも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色摺《いろずり》の西洋の女の画《え》が、埃《ほこり》だらけになって、横に立て懸《か》けてあった。溝《みぞ》の磨《す》れた井戸車の上に、何とも知れぬ花瓶《かびん》が載っていて、その中から黄色い尺八の歌口《うたぐち》がこの画《え》の邪魔をしている。
西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上昔《そのかみ》の空気の中に黒く埋《うま》っている。いかにもこの古道具屋にあって然《しか》るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻《ひね》ったが、硝子《ガラス》も割れていないし、額縁《がくぶち》もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。
井深がこの半身の画像を抱《いだ》いて、家《うち》へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額《がく》を裸《はだか》にして、壁へ立て懸《か》けて、じっとその前へ坐《すわ》り込んでいると、洋灯《ランプ》を持って細君《さいくん》がやって来た。井深は細君に灯《ひ》を画の傍《そば》へ翳《かざ》さして、もう一遍《いっぺん》とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄《き》ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧《かえり》みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。
飯を食ってから、踏台をして欄間《らんま》に釘《くぎ》を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃《よ》すが好いと云ってしきりに止《と》めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。
細君は茶の間へ下《さが》る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工《えかき》の光線のつけ方である。薄い唇《くちびる》が両方の端《はじ》で少し反《そ》り返《かえ》って、その反り返った所にちょっと凹《くぼみ》を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開《あ》いた口をわざと、閉《と》じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。
調べものとは云《い》い条《じょう》、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経《た》ったら、また首を挙《あ》げて画の方を見た。やはり口元に何か曰《いわ》くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼《ひとえまぶち》の中か
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