来上って、流行の鶉縮緬《うずらちりめん》の道行《みちゆき》を着て、毛皮の襟巻《えりまき》をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻套《まわし》の羽根《はね》を捕《つら》まえて、伸び上がりながら、群集《ぐんじゅ》の中を覗《のぞ》き込んだ。
真中に印袢天《しるしばんてん》を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天《はんてん》がびたびたに濡《ぬ》れて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂律《ろれつ》の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖《こわ》い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見《め》えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突然《いきなり》思い出したように、人間だいと大きな声を出す。
ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉《うれ》しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向《あおむ》けに寝た。明《あ》かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒《べらぼう》め、こう見《め》えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁《わら》の縄《なわ》で酔払いを荷車の上へしっかり縛《しば》りつけた。そうして屠《ほふ》られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾《しめかざ》りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖《ふ》えたのを喜んだ。
山鳥
五六人寄って、火鉢《ひばち》を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携《たずさ》えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招《しょう》じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥《やまどり》を提《さ》げて這入《はい》って来た。初対面の挨拶《あいさつ》が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。
その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹《あつもの》を拵《こしら》えて食った。山鳥を料《りょう》る時、青年は袴《はかま》ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割《さ》いて、骨をことことと敲《たた》いてくれた。青年は小作《こづく》りの面長《おもなが》な質《たち》で、蒼白《あおじろ》い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口髭《くちひげ》よりも、彼の穿《は》いていた袴であった。それは小倉織《こくらおり》で、普通の学生には見出《みいだ》し得《う》べからざるほどに、太い縞柄《しまがら》の派出《はで》な物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部《なんぶ》のものだと云った。
青年は一週間ほど経《た》ってまた来た。今度は自分の作った原稿を携《たずさ》えていた。あまり佳《よ》くできていなかったから、遠慮なくその旨《むね》を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後《のち》、また原稿を懐《ふところ》にして来た。かようにして彼《か》れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑《すぐ》れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編輯者《へんしゅうしゃ》の御情《おなさけ》で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文《ぶん》を売って口を糊《のり》するつもりだと云っていた。
或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾《ほ》して、薄い海苔《のり》のように一枚一枚に堅めたものである。精進《しょうじん》の畳鰯《たたみいわし》だと云って、居合せた甲子《こうし》が、さっそく浸《ひた》しものに湯がいて、箸《はし》を下《くだ》しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭《すずらん》の造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵《こ
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