きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙《あ》げて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真直《まっすぐ》に立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳《そび》えていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下《さが》って行った。しばらくして、ふり返ったら、竿《さお》のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。
人間
御作《おさく》さんは起きるが早いか、まだ髪結《かみゆい》は来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕《ゆうべ》たしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上《あが》りますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦《じ》れったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及《およ》び腰《ごし》になって、障子《しょうじ》の前に取り出した鏡台を、立ちながら覗《のぞ》き込んで見た。そうして、わざと唇《くちびる》を開けて、上下《うえした》とも奇麗《きれい》に揃《そろ》った白い歯を残らず露《あら》わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間《あい》の襖《ふすま》を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩《おそ》くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那《だんな》は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。
御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝《ようじ》と歯磨《はみがき》と石鹸《しゃぼん》と手拭《てぬぐい》を一《ひ》と纏《まと》めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯《ひげ》を剃《す》って来るよと、銘仙《めいせん》のどてら[#「どてら」に傍点]の下へ浴衣《ゆかた》を重ねた旦那は、沓脱《くつぬぎ》へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆《か》け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥《ようだんす》の抽出《ひきだし》から小さい熨斗袋《のしぶくろ》を出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利《き》けないものだから、黙って、袋を受取って格子《こうし》を跨《また》いだ。御作さんは旦那の肩の後《うしろ》へ、手拭《てぬぐい》の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引込《ひっこ》んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾《かたむ》けた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁寧《ていねい》にしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始終《しじゅう》心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣裳《いしょう》を揃《そろ》えて、大きな欝金木綿《うこんもめん》の風呂敷にくるんで、座敷の隅《すみ》に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這入《はい》って来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘《はず》ませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管《きせる》を出して髪結に煙草《たばこ》を呑《の》ました。
梳手《すきて》が来ないので、髪を結《ゆ》うのにだいぶ暇《ひま》が取れた。旦那は湯に入《い》って、髭《ひげ》を剃《す》って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美《み》いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴《おとも》をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交《じょうだんまじ》りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。
旦那は欝金木綿《うこんもめん》の風呂敷を、ちょっと剥《はぐ》って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美《み》いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織《わたいればおり》を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣《かすり》の綿入羽織を出さなかった。
やがて、御化粧が出
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