》う様子もなく、あながち日本を嫌《きら》う気色《けしき》もなく、自分の性格とは容《い》れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態《せたい》が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめねばやまぬ勢を得つつ進むのを、日ごと眼前に目撃しながら、それを別世界に起る風馬牛の現象のごとくよそに見て、極《きわ》めて落ちついた十八年を吾邦《わがくに》で過ごされた。先生の生活はそっと煤煙《ばいえん》の巷《ちまた》に棄《す》てられた希臘《ギリシャ》の彫刻に血が通い出したようなものである。雑鬧《ざっとう》の中に己《おの》れを動かしていかにも静かである。先生の踏む靴の底には敷石を噛《か》む鋲《びょう》の響がない。先生は紀元前の半島の人のごとくに、しなやかな革《かわ》で作ったサンダルを穿《は》いておとなしく電車の傍《そば》を歩《あ》るいている。
先生は昔《むか》し烏《からす》を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌《え》をやって放し飼にしたのである。先生と烏とは妙な因縁《いんえん》に聞える。この二つを頭の中で結びつけると一種の気持が起《おこ》る。先生
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