。千筋《せんすじ》の縮《ちぢ》みの襯衣《シャツ》を着た上に、玉子色の薄い背広《せびろ》を一枚|無造作《むぞうさ》にひっかけただけである。始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺《こん》の着物を着ていた。君が正装をしているのに私《わたし》はこんな服《なり》でと先生が最前《さいぜん》云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余の方が先生よりもよほど正装であった。
余は先生に一人で淋《さび》しくはありませんかと聞いたら、先生は少しも淋しくはないと答えられた。西洋へ帰りたくはありませんかと尋ねたら、それほど西洋が好いとも思わない、しかし日本には演奏会と芝居と図書館と画館がないのが困る、それだけが不便だと云われた。一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促《うな》がして見たら、そりゃ無論やって貰《もら》える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。
先生はこういう風にそれほど故郷を慕《した
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