足に触れない素裸《すはだか》のままの高い階子段《はしごだん》を薄暗がりにがたがた云わせながら上《のぼ》って、階上の右手にある書斎に入った。そうして先生の今まで腰をおろして窓から頭だけを出していた一番光に近い椅子に余は坐《すわ》った。そこで外面《そと》から射《さ》す夕暮に近い明りを受けて始めて先生の顔を熟視した。先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。先生に日本へ来てもう二十年になりますかと聞いたら、そうはならない、たしか十八年目だと答えられた。先生の髪も髯《ひげ》も英語で云うとオーバーンとか形容すべき、ごく薄い麻《あさ》のような色をしている上に、普通の西洋人の通り非常に細くって柔かいから、少しの白髪《しらが》が生えてもまるで目立たないのだろう。それにしても血色が元の通りである。十八年を日本で住み古した人とは思えない。
先生の容貌《ようぼう》が永久にみずみずしているように見えるのに引き易《か》えて、先
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