生の書斎は耄《ぼ》け切《き》った色で包まれていた。洋書というものは唐本《とうほん》や和書よりも装飾的な背皮《せがわ》に学問と芸術の派出《はで》やかさを偲《しの》ばせるのが常であるのに、この部屋は余の眼を射る何物をも蔵していなかった。ただ大きな机があった。色の褪《さ》めた椅子が四脚あった。マッチと埃及煙草《エジプトたばこ》と灰皿があった。余は埃及煙草を吹かしながら先生と話をした。けれども部屋を出て、下の食堂へ案内されるまで、余はついに先生の書斎にどんな書物がどんなに並んでいたかを知らずに過ぎた。
 花やかな金文字や赤や青の背表紙が余の眼を刺激しなかったばかりではない。純潔な白色でさえついに余の眼には触れずに済んだ。先生の食卓には常の欧洲人が必要品とまで認めている白布が懸《かか》っていなかった。その代りにくすんだ更紗形《さらさがた》を置いた布《きれ》がいっぱいに被《かぶ》さっていた。そうしてその布はこの間まで余の家《うち》に預かっていた娘の子を嫁《かた》づける時に新調してやった布団《ふとん》の表と同じものであった。この卓を前にして坐った先生は、襟《えり》も襟飾《えりかざり》も着けてはいない。千筋《せんすじ》の縮《ちぢ》みの襯衣《シャツ》を着た上に、玉子色の薄い背広《せびろ》を一枚|無造作《むぞうさ》にひっかけただけである。始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺《こん》の着物を着ていた。君が正装をしているのに私《わたし》はこんな服《なり》でと先生が最前《さいぜん》云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余の方が先生よりもよほど正装であった。
 余は先生に一人で淋《さび》しくはありませんかと聞いたら、先生は少しも淋しくはないと答えられた。西洋へ帰りたくはありませんかと尋ねたら、それほど西洋が好いとも思わない、しかし日本には演奏会と芝居と図書館と画館がないのが困る、それだけが不便だと云われた。一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促《うな》がして見たら、そりゃ無論やって貰《もら》える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。
 先生はこういう風にそれほど故郷を慕《した
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